個別映画評
吉原炎上

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年代 | 1987年 |
国 | 日本 |
時間 | 133分 |
監督 | 五社英雄 |
脚本 | 中島貞夫 |
音楽 | 佐藤勝 |
出演 | 名取裕子、二宮さよ子、藤真利子、西川峰子、かたせ梨乃、根津甚八 |
最近はまっているTVドラマ「○○の料理番」を見て、ふと思ったことがある。それは、ヒョットしてこれは昔みた映画「吉原炎上」と同じ時代の話ではないかと。そこで調べてみると、やはりその通りで、どちらも今から百年以上前の明治40年以降が舞台の物語だと分かる。料理番の主人公はこの年、わずか19歳で厨房の料理長に抜擢されて出世街道を歩き出し、片や「吉原炎上」では、18歳で遊郭地獄に売り飛ばされた主人公の苦難の人生話だが、どちらの主人公もまた、同じ時代を生きているところは一緒だ。ことに街を歩く男たちの誰もが、このころ流行ったハンチングやカンカン帽を被っている姿や、いかにも“明治”を思わせせる街のたたずまいなどが、往時を巧みに語りかけて来るようで、見ていて何とも興味深いのだ。
で、遊郭「中梅楼」に売られた名取裕子が“御職”と呼ばれる一番花魁の二宮さよ子や、二番花魁の藤真利子、更には三番目に偉い先輩花魁の西川峰子たちにいびられながら、“花魁階段”を一段、また一段と登っていくのがこの物語の筋道だ。その過程で主人公がいじめられたり干されたり、あるいは“廓の女”としてのテクニックを先輩娼婦からそのカラダを使って手とり足とり教え込まれたりとか、ま、そんなこんなでこの手の話しにありがちなストーリーはありきたりかも知れないが、当時でさえ、一般にはあまり知られることのなかったであろう言わば“闇に包まれた部分”に本作が、光を当てたところにこそ実は本当の意義があるのかも知れない。
まず目に付くのがその「中梅楼」の構造だ。当時としてはたぶんハイカラな三階建ての造りで、中央部分が下から上まで“吹き抜け”式の構造なのだ。つまりそれは、番頭役の女が座る位置から、女郎たちの動きがすべて見渡せることを意味している。そうなのである。この花街に足を突っ込んだが最後、彼女たちは6年から8年の“年季明け”まで、決してここから出ることはできなかったのだ。まさにそこは、男にとっての極楽道であり、女にとっては地獄道だったのである。
「料理番」がコック帽をかぶった男たちだらけの話しなら、こちらは寝間着もあらわな女たちだらけの話だ。つまり、時代の重なりだけでなく、男と女それぞれ両極端の世界を描きながらも重なるように見えたのは、まったくの“偶然の産物”以外の何ものでもなかったようだ。
(2015/07/23)